世界園芸博覧会

ookakiuchi2006-07-21

旅2日目。いよいよ本日、今回の旅行のメインイベントである“2006瀋陽世界園芸博覧会”を見学した。2.46k㎡という広大な土地を利用した今回の博覧会は、“大自然と共に生きる”をテーマに掲げている。今回の園芸博覧会実行委員会の方から、園芸博覧会の企画・設計に関するお話しを特別に伺った。

“今、ここにある条件を生かす”

世界園芸博覧会が開催されている瀋陽は、元々自然条件が揃っている、とのお話だった。山・花・林・水を結合させ、中国北地に位置する瀋陽ならでは…、の雄大さを表現しているとのこと。…なるほど。入口の“鳳凰の翼”というエリアは、文字通りの雄大さを感じた。園内を歩いていても、メイン展示である“各国を象徴する庭園”、“百合の塔”、“バラ温室”、“百花園”を歩く道々の方がずーっと印象に残っている。…一体、どれぐらい広いんやろう。歩いても歩いても、次々何かに出会ってしまう。それ程までに園内は広かった。

今回の園芸博覧会で興味深かったのは、“西洋への憧れがある一方、近年は中国のガーデン思想”に戻っていく、とのお話だった。中国のガーデン思想?はてさて?と首をかしげていると、それは“人間と自然の調和”との解説を受ける。調和。…つまり、それは“生かしあう”ことそのものではなかったか。“生かす”というのは言葉じりでは簡単そうやし、当然のことのように思うけれど自分の視野が狭まっているとき、“生かす”という言葉は全然見当たらなくなってしまう。物事に煮詰まっているとき、誰かと意見が衝突するとき、“生かす”よりはむしろ、お互いのエゴで“殺しあう”。でも、いつ何時も相手を“生かす”にはどうしたらいいんやろ?と発想すると、もう少しゆとりがでてくるかもしられへん。今、ここにある光と影を含めた現実。陰りになっている部分は、できれば見たくもないけれど、そうだとしても“生かそう”と見直してみると案外面白いものが見つかるかもしれない。

散策路沿いに、行けども行けども埋め尽くされた花々を見ながらそう思った。キャンバスを塗りつぶすように植えつけられた花々は、目にまばゆい程人工的そのものだったけれど、林の中に溶け込んでいるように見せている姿には圧巻だった。今回の園芸博は、自然生態系と人口景観を融合させようとしているのかしら。延々と歩きながら、感じたことのひとつだった。