あの道の向こう側。

瀋陽から大連へ。旧満州鉄道の大幹線を現代の特急列車にて移動。列車で4時間かけての大移動となる。車窓に広がる農村風景。行けども行けども広がるとうきび畑(とうもろこし畑)。…ふと、現地ガイド・張さんの言葉を思い出す。

中国では、“まち戸籍と“農村戸籍”にはっきりと分かれていて、明確な貧富の差、身分の差がある、ということ。農村の暮らしは、厳しいものである、ということ。“まち戸籍”の人が保障されている権利すら、農村の人は所有しない。その生活がどんなに苦しいものであっても、農民という立場から逃れることはできない。全員が“まち戸籍”を所有してしまったら、中国の食料事情の担い手は、たちまち不足してしまうから。2:8のバランス。“まち戸籍2割:農村戸籍8割”が、今の中国の現状らしい。この戸籍を翻す方法は1つだけ。超難関大学を入学・卒業することのみ。「生まれながらの差別である」と、張さんはおっしゃっていた。

行けども行けども広がる農村風景を見ながら、これが中国を支える担い手なんや、と思った。彼らが中国総人口、ひいては輸出大国として世界の食料事情を支える担い手達。彼らの存在なくしては、成り立たないであろう現実。“見えるものは、見えないものによって支えられている。”そうだよやぁ?と、口ずさむように思い出す。


辿り着いた大連でも、衝撃は大きいものだった。その生活格差をまざまざと見せつけられる風景に出くわす。私達の宿泊する4つ星ホテルの道を隔てた向こう側の格差に愕然とする。かたや高級ホテルと名高い宿泊施設、一方で贅沢からは程遠い灰色にすすけた住宅。壊れた窓すら放置され、そのまま生活を営んでいた。

ホテルの裏門、鉄格子越しに見た世界。一本の道の隔たりは、遥かな埋められない差があった。良し悪しではなく、ただそこにある事実。“この世界の歪みについて”。考えざるを得なくなる。もはや、世界園芸博覧会を見る、という当初の目的より現地のそこここで感じるカルチャーショックの方に囚われ、感情を揺さぶられるのだった。…やれやれ。

世界にはほんまに、ど〜〜にもならないことがあって、考えても簡単に答えがでないことばかりやけれど。でも、私達にできること。例え何ができる訳じゃなくても、それでも考え続けることをやめないことや、と心底思う。ボタンひとつで、答えがでるような錯覚をしがちな今、色々と体当たりで答えを探す大切さ。

現地の空気を肌身で感じた1日でした。