egoとecoの狭間

超!久々、自由自在・変幻自在の休日。のびのびゆるゆる過ごす。蒼い夕暮れの元、近くの公園へ散歩に出る。この公園は、犬散歩者・人間散歩者、ランナーさまざまな人々が、歩け歩け大会(もしくは、走れ走れ大会)を繰り広げている。この位の陽気の頃に出る散歩は、気持ちいいやね〜、と鼻歌混じりでてれてれ歩いていると、発見!愕然…。ゆうゆうと枝を伸ばしていたメタセコイヤがちょこんと、天辺を残して無残に剪定されていた。
ちょんまげを結ったお侍で例えると、ちょんまげ部分だけ残して全て切り取られた状態。(背骨とちょんまげだけある状態)。不二家のパラソルチョコで例えると、傘の先端と、柄の部分しかない状態。無論これは驚異的なことだと、心から思う。
元々、密植されたうす暗い入り口だとは思っていたので、成長盛んな樹を前にして剪定せざるを得なかったのだろう、ということは想像に難くない。

…そうだとしても。

ヒト科ヒト属の人間である私自身、ニンゲンは呪わしい…、と自分を省みて思う。植物はいい、緑はいいと、もてはやす一方、自分達の都合上健やかに成長した樹々をばっさりと切り落としてしまう。ego(自我)とeco(=ecology)は字面上、とても似ている。人間のegoと環境のeco。その辺りのバランスは、どんなに足りない頭でも自分で考える方がいい。自分達のエゴ(自我)を貫き通して環境を濁らせるか、それともエゴを省みて澄んだエコ(環境)を選択するか。egoとecoの狭間でゆらゆら揺れつつ、再び散歩を再開した。進む。進む。