破天荒の異端児道

ookakiuchi2005-06-19

“破天荒の異端児”。だからこそ、かねてから見たいと思っていた、「岡倉天心展」へ出向く。inワタリウム美術館

岡倉天心は、幕末の横浜に生まれ、日本が近代化・西欧化に躍起になっていた時代に、敢えて流れに逆らった人。日本ならではの“美”を、その事を忘れかけている日本人へ、そして、世界へと発信した人。し続けた人。この展示会では、想像以上に天心のいろんな側面が垣間見られた。なんと、多面体な人だろう。批判され続けようとも、それでも凛として、自分の軸は揺るがない。魅きこまれたのは、天心に関する主軸をなさない、取るに足らない無駄なエピソード。ついついこぼれ話にばかり、目がいってしまう。

中でも、東京芸術大学を創立し、美術学校での授業のヒトコマには、思わず笑ってしまう。生徒かく語りき。「“名月”というお題を出されても、月を描いてはいけない。そこにあるものの感じを出さないといけない。“笛声”というお題に対して、ある若い公家さんが、広い野原で笛を吹いていたのじゃいけないんです。そんなものをやらんで、笛を吹かずして、笛の感じを出せ。」と。…禅問答なんだか、理不尽なんだか。とにかく、そう言って、大真面目に授業をやっていたであろう天心さんに、俄然魅了されてしまう。

もう1つのエピソード。死の直前、彼の手紙に胸打たれる。もはや、動かない身体と薄れゆく記憶の最中。彼は、愛する人に手紙を書く。“おしまいの手紙”。「私は、宇宙から与えられているものに対して、(※この場合、“死”を指す。病状が悪化し、彼なりに死期を感じてのこの台詞。)感謝、そう、大変感謝しております。私は、本当に満足しており、暴れ出したいぐらい幸せです。」と。…ちょっと、待て?ここで思うに、もはや動けない身体を目の前にして、“暴れ出したいぐらい”と、形容してしまう天心さんの勇敢さに、不謹慎ながら笑ってしまうのだった。沈没船でも構わない、それが何だと言うのだ?と、彼なら言い出しかねないな、とにっこりして展示会を後にする。展示会の最中、乱雑にペンを走らせたメモ帖は、ほんっとに、読めない程汚い字だが、貴重なコトバが書き連ねられている。

あまりにのめり込みすぎて、頭がぼんやりした最寄りの駅にて、スモークツリーが生けられているのを発見した。霧のように、けぶる花を前に、それでも、今日の記憶は霞まないだろう、とその鮮明さを確認する。

【今日のひと花】スモークツリー(学名:Cottinus Coggria)/英:smoke tree/和:ハグマノキ/ウルシ科/落葉高木。日当たり〜半日陰を好む。“煙”と呼ばれている花は、花が散った後、花柄が長く伸び、花序全体が羽毛状となり、霞のように見えている。